インタビュー

桑形直邦弁護士

※経歴は『NIBEN Frontier』2021年11月号時点のものです。

法律事務所での経験とインハウスとしての役割

桑形 直邦 Naokuni Kuwagata (57期) 当会会員
2004年 あさひ・狛法律事務所(現・西村あさひ法律事務所)入所
2014年 インドの会計コンサルタント会社に出向
2019年~2021年 パナソニック株式会社コンプライアンス部
現在 ノバルティスファーマ株式会社 オンコロジー事業 法務部

編集部弁護士になろうと思ったのはいつですか。

桑 形弁護士という仕事を認識したのは、小学5、6年生の頃で、はっきり目指そうと思い始めたのは中学生の頃です。親族に弁護士がいましたし、テレビドラマの題材にもなり始めた時期で、社会的意義も高そうな職業なので、やってみようかなと思いました。

編集部学生時代何か部活はしていましたか。

桑 形中学の授業でやってみたのをきっかけに、大学まで柔道をやっていました(現在は実業団登録)。結局出られませんでしたが、高校では個人戦で全国大会に出ることを目標に頑張りました。
やりきった感じがあったので、柔道は高校までにして、大学では司法試験に向けて頑張ろうと思っていましたが、東京大学が思ったより柔道を頑張っていたので認識を改めまた柔道部に入りました。
結局、選手として大学4年の10月までやり、団体戦の全国大会に向けた翌年の入替戦の権利を後輩に託すところまで行けました。みんなそれまで引退しないので、留年をしていた部員はそれなりにいました。私も引退後に本格的に司法試験の勉強を始めて、翌年5月から試験に臨みました。

編集部その後合格してあさひ・狛法律事務所(現・西村あさひ法律事務所)に入所したとのことですが、若手時代は主にどんな仕事をしていましたか?

桑 形当時、事務所では指導担当制を採用していて、私には、プロジェクト・ファイナンスのPFI※1、M&Aを含むコーポレート、訴訟を扱う3人の先生方が指導担当に付いてくれたので、基本的にこの3領域の仕事をしました。M&A が活発な時期だったので、これに割く時間の割合が大きかったです。
また、所内の3エリアを順に回って席を移動することになっており、各エリアの先生方との仕事も入るので、そのほかにも色々な領域の仕事を経験させてもらいました。

編集部ヘルスケア分野にも専門的に取り組まれているそうですが、きっかけを教えてください。

桑 形私の登録1年目の頃に、病院の経営が今後危なくなるのではないかという問題意識が持たれ始めていました。重要な社会的インフラである病院が潰れては大変なことになりますので、事務所としても、病院再生をサポートするチームを整えよう、そのためにまずは書籍を執筆しつつ勉強をしようというプロジェクトが立ち上がりました。それに手を挙げて、リサーチから原稿の締切りチェックまで、所内の編集部のように関わったのが私のヘルスケア分野のスタートでしたね。
その後も、病院の再生・破産管財業務、製薬会社・医療機器会社のM&A、医薬品に関連した大規模訴訟等を扱い、専門性を高めることに努めました。

編集部その後、アメリカへの留学、アメリカ法律事務所での研修、投資銀行への出向を経て、登録10年目でインドにある会計コンサル会社に出向したそうですが、どういった経緯でしたか。

桑 形事務所全体としてアジアプラクティスを展開していた真っ只中で、インドに出向中のアソシエイトがそろそろ帰国することになったけれど、もう少しインドに弁護士を置きたい、誰か良いタイミングの弁護士はいないかとなったときに、丁度私が留学と出向から帰ってきて、案件も何も抱えていない状態でしたので声が掛かったという経緯です。あと、「桑形だったらおなかも壊さないだろう」と思われたみたいです(笑)。
私としても、こんなことでもなければインドに行く機会もないし、新しいことをやってみたいと思い引き受けました。

編集部インドではどんな生活をしていたのですか。

桑 形前半は首都のデリー、後半は新興のオフィス街グルガオンに滞在していましたが、インドにはほかにもムンバイ、チェンナイ、バンガロールという主要都市があり、そこにも日系企業が進出していたので、月1回は、各都市に出張して1週間程滞在するという生活をしていました。やっぱりカレーは毎日食べました(笑)。
日系企業は、都市部から1、2時間のところに工場を置いているので、出張先では、運転手付きレンタカーを手配して、工場に行って、お話を聞いたり相談に応じたりを、1日上手くいけば3、4箇所回りました。運転手が約束の時間に来ないことや道を間違えることも多くて大変でした。

編集部具体的にはどういった仕事をしていたのですか。

桑 形当時、インドの会社法が抜本的に見直されたときで、幸い法律は英語なので翻訳の問題はありませんでしたが、条文はこう書いてあるけれどどう読み取るかとか、ここまでは分かるけどここから先はどう解釈するのかといった検討が多かったです。独特の言い回しがあったり、政省令に委任すると書いてあるのに委任先がなかったりと、必ずしも精緻ではないこともあり難解でした。

編集部コンメンタールのように法律の注釈や逐条解説はなかったのですか。

桑 形なかったです。インドの弁護士も、国会や政府の通達のほか、立法担当者の解説のように依拠するものがないわけです。最終的には「我思う」みたいな、そういう世界ですね(笑)。
解釈のためには、単なる法的知識だけでなく、文字には書かれていない社会や文化、実務について実体験として理解を深める必要もありました。インド人弁護士やアドバイザーと信頼関係を築きながら、他方で、依頼者のニーズも理解して業務を行わなければならないので大変でした。

編集部印象に残っている仕事はありますか。

桑 形沢山あるのですが、インドビジネスのインド人パートナーとの最後の詰めの交渉で「進退をかけて臨む」と覚悟を決める役員に随行して中東に赴き契約書の署名を取り付けたことがありました。法務面では整理がついて、あとはビジネス面の条件が残り相手がのらりくらりしていた場面で、あまり弁護士らしくないですが、代理人として最後は「今日サインをもらうまで我々は帰るつもりはない」と言って一緒に説得をしました。
依頼者の至急の要望に応えて、日本から0泊3日で出張し現地交渉に加わったこともありました。

編集部インドに行って良かったことは何ですか。

桑 形インドの社会は複雑で混沌としているのですが、その中でプロフェッショナリティを発揮する彼らの発想に目が覚めるような経験を沢山しました。
日々の生活を含めインドでは大変なことがあり過ぎましたが、大変なことに備えることはもちろん、彼らに倣って大変なことをありのままに受け入れるおおらかさを身に付けることができたと思っています。


ヨガの聖地リシュケシュでのガンジス川上流での沐浴
(ヒマラヤからの雪解け水が濁っているのは雨季のため)

編集部現地で柔道を教えたそうですね。

桑 形はい、日本の警備会社から派遣され大使館勤務のかたわらボランティアで日本人学校の子供向けの柔道教室で指導されていた方が私の赴任と相前後して帰任になり、私が指導を引き継ぐことになりました。ただ、そもそも畳がないので、体育館に体操のマットを敷き詰めて教えていました。

編集部デリーに赴任するときに柔道着も持っていったのですか。

桑 形もちろん。それは必須アイテムです。


デリー日本人学校で指導員を行った柔道教室の子供たちと

編集部その後、日本に戻って、西村あさひでの勤務後、インハウスに転職されたのはどうしてですか。

桑 形まず、弁護士の外部アドバイザーという立場に限界を感じるところがありました。依頼者の近くで仕事をしているつもりでも、法務の観点からのアドバイスは、色々な事情があって実現できないことも多い。そこに非常にもどかしい思いがあり、会社の中に入ればもっと影響力を発揮できるのではと考えました。
また、インハウスの人数も急増し、事務所にも出向要請が沢山来ていたので、企業側でもニーズは高まっていると感じていました。もし自分のような中堅の弁護士が必要とされるところがあれば行ってみたいと、漠然と考えていました。
その中で、パナソニックが、初めて法務部門の最高責任者であるジェネラルカウンセルという役職を本社に設けたというニュースを目にしていました。さらにグローバルコンプライアンス機能を強化すべく、中堅の弁護士を探しているという話が入ってきました。
これはせっかくの機会とタイミングなので、新しいチャレンジとして、パナソニックへの転職を決めました。

編集部長く勤めた事務所を出ることに葛藤はありませんでしたか?

桑 形事務所での仕事にもとてもやりがいを持っていたので、もちろん葛藤はありましたが、インドから帰国して5年ほどが経っており、キャリアにアクセントを付けるには、このタイミングだと思いました。

編集部今度はヘルスケアの専門性を活かして、別の会社に転職されるそうですが、しばらくはインハウスとしての道を考えていますか。

桑 形ゆくゆくは法律事務所勤務を含めたアドバイザリー業務に戻る可能性もありますが、しばらくはまだそうですね。今は外部での経験を企業の中ですごく活かせていると思います。逆に今インハウスでやっていることは、将来の法律事務所業務に活かせるかもしれません。インハウスの立場で貢献するために、今は大事な時期だと思っています。

編集部インハウスでも刑事事件に関わることはありますか。

桑 形まず、個人で受任することについては、情報の扱いの問題もありますし、どういった条件で採用をされているかにもよると思いますが、難しい現実が残念ながらあるように思います。
でも、例えばコンプライアンス業務ってある意味で不祥事対応の側面がありますので、刑事告訴を検討することもあるでしょうし、社員が捕まることもあるかもしれないので、刑事手続の実務経験もある程度必要になると思います。
私も、留学前には刑事事件を結構やっていた時期がありますが、その経験はインハウス業務の中でも活きていると思います。

編集部皆さんにもインハウスという職業を勧めたいですか。

桑 形どのタイミングで何を求めるか次第ですが、弁護士のあり方の一つとして勧めたいですね。
日本では今までインハウスが少なかったという状況はあり、世界的には弁護士の仕事の重要な規模を有していますし、もちろん課題はありつつも日本は過渡期に入っているところだと思います。
組織がどういう事業を行って、どう意思決定していくかを、当事者意識を持って関わるということは、法曹の重要な役割だと思いますが、外にいると外部アドバイザーとして最後は依頼者に決めてもらわないといけない。他方、会社の中にいると最後の最後まで納得感を持ってちゃんと決めなければなりません。当事者としてそこに食い込めるというところは、インハウスだからこその大きなやりがいだと思います。

編集部今後やってみたいと思っていることを教えてください。

桑 形コロナ禍で活動の制約も大きいので具体的なことをまとめにくいですが、振り返ってみると、これまで新しい環境に身を置いて、新しい分野に取り組む経験を色々と重ねさせてもらったと思っています。
弁護士業界も企業も、国際化は古くて新しい課題だと思いますし、世の中でも米中貿易摩擦、人権、ESG※2、脱炭素/再生可能性エネルギー等、国際的に変化の大きな時期です。この流れは、ある意味、なぜ弁護士になったのかと自分自身に向き合うには良い機会ではないかと思います。
法律事務所から外に出ている今は、所属する組織の視点から現実に起こっている課題に向き合うことに全力を尽くしたいですね。

編集部弁護士になって良かったことは何ですか。

桑 形所属する組織や国が異なっても、職業としてのアイデンティティがあり、ある程度の共通の価値観や共通言語で会話し、仕事ができることだと思います。
もちろん、個々人の信条や実現する依頼者の利益等はそれぞれ異なりますが、弁護士には、これをリーガルマインドと言うべきなのかやはり共通の仕事の軸になるようなものがあると思います。
インドに行っても、インハウスの立場でも、この点は変わらないと思いました。どこに行っても、どんな形でも、自分の選択の幅を無限に広げられるのは、こうした軸をしっかり持っている弁護士という仕事だからこそだと思います。

編集部弁護士の魅力とは何だと思いますか。

桑 形社会のあらゆるニーズに取り組むことができる可能性があり、これにより色々な角度から社会に関わりを持つことができることだと思います。
法律事務所の業務として企業や個人が直面する課題を解決するために新しい法務領域を開拓することもできます。他方、インハウスとして組織の実態に即した法務課題を見つけて、解決に向けた適切な意思決定を実現することもできます。法律家の素養をベースに法務以外の領域で活動する機会も増えています。
でも、一方で弁護士が常に最前線にいるわけではないということや、法務的な判断で解決できないことの方が多いということも現実だと思います。弁護士がもっと積極的に前に出て行くことへの要請と、黒子に徹して、法律家ではない方々と連携していく必要性とのバランスを心掛けていないといけないと思います。

編集部若手のうちに必要な力は何だと思いますか。

桑 形変化への対応力だと思います。ある程度実務の確立した業務もありますが、弁護士は、社会で起こっていることを取り扱う仕事ですので、新しい分野やニーズも出てきます。この新しいことへの対応に関しては、若い人にこそ第一人者になったり、専門性を深めたりするチャンスがあると思います。新しいものを面白いと思える感覚があれば、きっと仕事は具体化していくと思います。
また、その前提として自身のモチベーションに素直に向き合い、それを信じることが大切だと思います。興味のあることは大変でもやるのが良いし、大変なだけで面白くもないと思えば環境を変える選択も必要になると思います。現場に身を置いて、人の話に耳を傾けることで、自分の専門性や進む道が見えてくることもあると思います。

編集部最後に、法曹を目指す皆さんに向けてメッセージをお願いします。

桑 形弁護士という仕事は、社会との関わりが本当に幅広い仕事だと思います。実際に社会で起こったトラブルが、最終的に持ち込まれるのは弁護士のところですので、難しいですが、すごくやりがいがある仕事だと思います。
予備試験、ロースクール、司法試験、どれも大変ですが、法律も、法曹という資格も人間が作る制度ですので、時代によって、国によって異なる仕組みを持つ一つの通過点と捉えて、それぞれが目指す姿で活躍する舞台に乗り込んできて欲しいと思います。