インタビュー

林陽子弁護士

国連女性差別撤廃委員会委員長として世界で活躍

日本で初めて国連性差別撤廃委員会の委員に就任し、世界で活躍されている林弁護士に、新人時代のお話しや国連女性差別撤廃委員会での経験談、若手に求める力などをお聞きしました

林陽子先生 【編集部】弁護士になろうと思ったきっかけを教えてください。
【林】高校生のときに日産自動車の差別定年制事件のニュース※1に触れたのがきっかけです。この事件では、女性50歳、男性55歳の5 歳差定年制に対し、女性の55歳の生理的年齢は男性の70歳位に相当するから適法だという判断を、男性裁判官3名の合議体が出し、大きく報道されました。私もこのニュースを知り、裁判や法律に大変興味を持ち、法学部に入りました。学生時代からジェンダーの問題には関心があり、弁護士になったら人権の分野の仕事をしたいと思っていました。

※1:定年とされた女性従業員の地位確認を求める仮処分に対する1審の決定。その後、最高裁まで争われ、最高裁は、男女別定年制は性別のみによる不合理な差別であり、公序良俗に違反して無効であると判断した(最三判昭和56年3月24日)。男女雇用機会均等法の制定に大きな影響を与えた事件である。

【編集部】新人の頃はどのように過ごされましたか。
【林】弁護士登録後、東京共同法律事務所に入所しました。当時の総評弁護団の中心となっている先輩方が在籍し、数多くの労働組合の顧問をしていました。ちょうど男女雇用機会均等法ができる頃で、色々な組合の人達と、なぜ男女平等法が必要かを、ずいぶん議論し勉強しました。また、1980年代は日本の外国人労働者問題が顕在化した時期で、「女性の家HELP」という、キリスト教団体によってつくられた外国人女性のシェルターのボランティアもしました。その際、不法就労者がパスポートを取り上げられて売春を強要されたのに対し刑事告訴して、記者会見を開いたのですが、記者が私たちを見てあきれながら、
「不法就労者なのに賃金はもらえるのか」という質問をしてきたのを覚えています。当時はまだ、入管法に違反すれば労基法は適用されないと記者でも思っていた時代でした。
その後、夫の仕事の関係もあり、イギリスに留学しました。人生の転機はここにあったと思います。イギリス人の大学の先生や友人にも素晴らしい人はいましたが、旧植民地出身の人たちから、日本にいては分からない、第三世界からの物の見方を学びました。後でお話しする国連での仕事でも、その経験が非常に役立ちました。また、イギリスには、"無駄を楽しむ"といった余裕があり、弁護士実務に直結しない勉強を、アカデミック・インタレストでやっていると言うと、素晴らしい、と褒められました。目的的にやっていくだけが全てじゃないと学ぶことができました。
帰国後は、古賀総合法律事務所で7年間アソシエイトをしました。自由人権協会で反アパルトヘイト小委員会を作り、獄中にいたネルソン・マンデラの釈放運動に取り組みました。マンデラが釈放され(後に大統領に就任)来日した際に会えたときは感動しました。

林陽子先生 【編集部】その後、国連女性差別撤廃委員会の委員を務められたそうですが、就任の経緯を教えてください。
【林】外務省と最初に仕事をしたのは1995 年の国連の北京女性会議に政府代表団顧問として入れて頂いたことです。当時は社民党の村山内閣時代で政府とNGOの新しい関係ができつつあるときでした。その時の経験から名前が出たようで、外務省から就任のお話を頂きました。これはあらゆることを犠牲にしてでもやりたいと思い、お引き受けしました。

【編集部】2008年から委員を務められ、2015年には日本人初の委員長に就任されたとのことですが、委員長はどうやって選出されるものなのでしょうか。
【林】地域別(アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、西側、東側の5グループ)のローテーションがあり、在任中に10年に1度のアジアの番が回ってきました。ただやはり難しい仕事で、アジアからの委員長は私で4人目ですが、前の3人は語学に堪能な外交官でした。私のときは、アジアの委員で長く務めている委員がいたのですが、その方が固辞され、ほかの方々に「あなたはよく条約のことを勉強しているから」とまずアジアグループでの推薦が決まり、委員会全体のコンセンサスで選出されました。

【編集部】委員会では、どのようなお仕事をされていたのですか。
【林】年に3回会議がジュネーブであり、1会期は大体3週間です。作業部会を含めると、その前後1週間ずつプラスされますので、1回につき大体1カ月の出張となります。
各国政府は、女性差別撤廃条約を批准した国の義務として、自分たちの国が条約に沿ってどういう法改正をしたか、どういう判決が出たか、どのような進歩があったかについて国家報告書を出します。委員はそれを徹底的に読み込み、20項目くらいの質問を作成します。それに文書回答をもらった後、政府代表団に来てもらい質疑をします。日本の例でいえば、夫婦別姓がどうして実現しないのか、男女の賃金格差が縮まらない原因はどこかなどの質問を出して、文書でその答えをもらい、更にそれに対して口頭の質問をし、勧告にまとめます。
国連は、どの国に対しても平等で、どんな大国だろうと名前を知らない小国だろうと、1カ国につき、時間は同じで、この作業を朝10時から夕方5時まで行います。小さい国だと、情報が少なく、質問の材料が何もなくて苦労することもあります。これを3週間で8カ国について行い、最後に勧告をまとめます。その際、例えば条約を批准した国が、憲法又は国の法令で男女平等の原則を樹立しているかを見るにあたり、法律やその国の判決文を出してもらって評価をするなど、やはり法律家としての知識が役立ったと思います。

【編集部】ちなみに会期中は、一人でホテル暮らしでしょうか。寂しくありませんでしたか(笑)。
【林】ホテルではなく、キッチン付きのアパートに宿泊していました。同じアパートに委員会の仲間も宿泊していて、夕食を一緒に食べることも多く、見るもの聞くもの珍しかったのであまり寂しいという感覚はなかったです。
委員会のメンバー(23名)は、1国1名以上委員を出せない決まりなので、皆国籍はバラバラですが、私を含め生牡蠣が好きなメンバーで、旬の時期に必ず生牡蠣を食べに行く会を開催するなど親しくなった人も多かったです。本当に優れた人達と一緒に仕事ができたのは幸いでした。

【編集部】委員を務める前後で、何か見方が変わったことはありますか。
【林】私は自分自身をフェミニストだと思っていましたが、ほかの委員に比べると法律家としてのバランス感覚みたいなものがあり、委員の中では一番の"保守派"のひとりでした。例えば個人通報※2の審議でも、私が、「やっぱりこの女性はあれこれ言っているけれども、証拠がないのでは」と言うと、ほかの委員から「どうしてあなたは政府の味方ばかりするの」と言われ、驚きました。自分の中にある保守性や秩序を重視する姿勢に気づかされました。
また委員の多くは、中国人なら文化大革命、クロアチア人なら旧ユーゴ戦争、アルジェリア人なら対仏独立戦争などを自ら経験しており、平和や安全保障について自分の見方も変わったと思います。

※2:人権侵害を受けた個人が直接、国連女性差別撤廃委員会に救済を求めることができる制度。日本は条約の選択議定書を批准していないので、日本については適用されない。

【編集部】昔はなかなか主張しても分かってもらえないこともあったと思いますが、何か苦労された経験はありますか。
【林】たくさんあります。例えば、婚外子の住民票や戸籍の続柄差別訴訟などにも取り組んできました。結果的に制度は改正され、住民票の続柄差別はなくなり、戸籍も本人の申立てがあれば再製されることになったのですが、判決の主文では敗訴しています。時代が当事者の主張に追いついてなかったし、もっと自分が深く勉強をしていて、もっと工夫して取り組めば勝てたのではないかと思う事件もありますね。

【編集部】弁護士になって良かったと思うところは、どういうところでしょうか。
【林】国内にいても、国外にいても、本当に一生懸命何かに取り組んでいる人達に出会えます。
裁判を起こすというのは一般の人にとって一生に一度あるかないかのことなので、それを「この人に託したい」と真剣に自分を信頼してくれる人がいて、その人のためにこちらも力を発揮し、一生懸命やれば成果が上がり、依頼者も評価してくれるということです。

【編集部】今後やってみたいと考えていることはありますか。
【林】国連女性差別撤廃委員会の活動を11年やったので、その記録をきちんと残したいと思っています。
女性をめぐる状況には、世界的に大変困難なことが多くありますが、他方で進歩していること、ポジティブなこともあります。10年前、20年前に比べたら今の若い人たちは恵まれている点が沢山あるので、それが何かということを伝えていきたいです。昨年からG7(先進国首脳会合)のジェンダー平等諮問委員会の委員をしています。今年はフランスがG7議長国ですが7月にフランスに出張した際、シアッパさんという素敵な女性の大臣が「女性の権利について語るときに、大変だとばかり言っていても仕方がない。私たちはもっと自分自身を祝福し、これほどまでに多くの事を達成、獲得してきたことを共有する場を持つべきだ。」とおっしゃっていました。私も同じ考えで、そういった情報をもっと日本国内にも広めていきたいと思っています。

【編集部】若手がこれからの時代を生き抜くためには、どんな力が求められると思いますか。
【林】集団で護送船団方式で守られる時代ではなく、個人の力、「あなたは何ができるのか」ということを、聞かれる時代になってきていると思います。ですから、性差や年齢を超えて、実力のある人には面白い時代になると思います。
そして、ビジョンを持つことがすごく大事で、5年後、10年後に自分がどうなっていたいか、世界がどういう方向に動いているのかを、常に考えながら仕事をする必要があると思います。そのためにはフェイクではなく、本当に自分にとって必要だと思う良質の情報を獲得していくことが大切だと思います。

【編集部】若いうちにどんなことをやっておいた方がよいと思いますか。
【林】私はやはり留学して良かったと思うので、若くて頭が柔軟なうちに、是非、語学の勉強をするとよいと思います。情報源が広がりますし、まずは話せなくてもよいので、英語の物が読めるということだけでも重要だと思います。そして、今やどんな問題でも、世界中、英語で議論される時代ですので、ゆくゆくは話す力も必要だと思います。
また、国際的に活躍したいなら、日弁連の中でも、国際人権問題の研究会等で活動している人たちが沢山いますので、まず関連する委員会や研究会に入って勉強していくことが必要だと思います。国連も今は様々な条約審査について、事前の登録さえすれば傍聴することができますので、実際に傍聴してみてもよいと思います。また弁護士は自分の「現場」を持つことが大事で、事件の当事者と一緒に成長してほしいと思います。
今では笑い話のような差別定年制合法論も、変えることができたのは、当事者とそれを支えた弁護士がいたからです。

【編集部】法曹志望者の激減が報じられていますが、これについてはどうお感じになりますか。
【林】大変残念なことだと思います。国連で100数十カ国の人権状況を見てきましたが、人権先進国とは、司法が強い国です。良い紛争解決機関があるということと、当事者に近いところに法曹がいるということは、先進国であるかどうかの分岐点なので、日本こそもっともっと法律家が増えなければいけないと思います。
法曹志望者の激減は、日本の社会にとって大変な損失です。

【編集部】これから法曹を目指す方にメッセージをお願いします。
【林】リーガル・マインドは世界共通のもの。法曹資格という知の世界のパスポートを手に入れて、地球社会のために貢献していきましょう

林陽子